敬天新聞2月号社主の独り言
▼今、日本のヤクザを一括りにして暴力団と呼ぶが、昔は任侠の徒と呼んだ。
 勿論、暴力団と呼ばれるようになったのにはそれなりの理由はあろうが、しかし今でも「任侠を生きている」、という人もいるのである。
 先日、私が新街宣車の出陣式街頭演説会で知り合いの二十数団体に声を掛け、昼の十二時から夕方の七時までリレー演説会を行った。そうそうたるメンバーだから登壇順番に苦慮するところであるが、私の思い立ったら吉日で、いい加減なキャラクターも相まって白倉のやる事だからと許して貰い、アイウエオ順で登壇して貰った。
 一番バッターで登壇して貰ったのは朱光出版社の阿形充規会長であったが阿形会長には全く別の顔もある。実は住吉会日野一家六代目総長という立場である。しかしカタギの人達の前では一切そのような素振りは見せられない。十二時スタートということで、それより三十分も前に来て話をして頂いたのであるが、それからが凄い。
 私は当然、自分の番が終れば適当なところで帰られるのかなーと思っていたら、最前列に陣取って直立不動で全ての弁士の話を聴き、一人一人に挨拶をされていた。夕方冷えてくるので途中何度もコートを着て下さいと勧めたが、とうとう最後までスーツ姿のままだった。
 阿形会長とは色んな会合で一緒になるので、ある時尋ねてみた。「これだけ巾を広げて付き合いしたら大変でしょう」と。そしたら「私らみたいに能力のない者は人脈だけが頼りですから、声を掛けられたらどんな小さな集まりにも出席するようにしています。世の中なんて何時どこで誰に助けられるか分りませんから、縁だけは大切にしています」と、どこまでも謙虚である。
 しかも、行く先々で挨拶を頼まれる立場だから、相当見えないところで勉強されているのだろう。私などと違って立場が立場だけに、余り無責任な発言も出来ないだけに大変である。確かに少なくはなったが、日本の任侠道をしっかり歩んでいる人もいるのである。
 各団体の弁士もそうであったろうが、聴衆の殆どの人が阿形会長の姿勢を見て学ぶ事が多い一日だった。
 ヤクザが暴力団と言われて久しいが、日本人には「任侠に学ぶ」ことは多いのである。


▼安藤昇先生がいまだに男の世界で人気があるのは暴力団になりえなかったからかもしれない。
 若い頃はヤクザ顔負けの爆発力で彼等と同等に戦い、ヤクザになれない不良学生が安藤先生の求心力に魅かれて集まった。男の持つ憧れみたいなものを全て吸収して膨れ上がっていったが暴力団といわれる一線だけは越える前に解散した。
 普通の男なら誰でも持っている一番憧れの到達点、その結集が安藤昇という人だったような気がする。それを超えると普通の人が手の届かない人、いわゆる暴力団になってしまっただろう。安藤昇人気は未だに根強い。会えばたちまち吸い込まれていく魅力というのはこういう人に出会った時のことを言うのだろう。男は強さに憧れる。
 それは本能が動物だからだ。体が大きいから強いとは限らない。小さくても根性の塊みたいな者もいる。天下を制したものもいつかは滅び、また新しい王者が君臨する。風がどちらに吹くか、毎日条件は変わる。
 当事者になれば見えなくなる物も一歩退けばよく見えるようになる。富士山の全景がよく見えるのは程よい遠さから見るからであって、近すぎても遠すぎても見えないのである。恐らく安藤先生は本能的に世の条理の全てに起承転結があることを知っておられたのだろう。女が札束を持って並んだという伝説も頷ける気がする。あやかりたい。


▼子供の給食費を払わないバカ親がいるらしいが「払えない」と「払わない」では意味が違う。自分の子供が学校(国)に無償で勉強を教えて貰っているのに、飯まで食わせろ、とはとんでもない。貧しい家庭に対しては国も免除を考えている。
 昔はあんなに貧しかったのに授業料も個人負担であり、徴収の日、払えない時は子供心に恥ずかしかったが親が金策に苦労してたのを知っていたから親に請求する事もできず「すみません、忘れました」と言って、先生から「明日は忘れないように」と言われる事が、どれほど辛かった事か。
 また親が授業料を徴収日に持って行かせてやれない申し訳なさが、子供心にも伝わってくるから、こちらからも尚更言い出せない。親が何とか工面して当日に授業料を持って行けた日は子供心に本当に嬉しかったものだ。
 昼食にしても弁当を持って行く事が基本ではあったが、家庭の事情で弁当を作れない家や学校から近い者に限っては「昼上がり」と言って家に帰って食事をするのであるが、家に帰っても飯がない時もあった。家に帰って飯がない事は朝出掛ける時に解っているのだが、恥ずかしいから一切そういう態度は見せない。午後の授業に出た時も、家で食事をしてきたような態度をして授業を受けるのである。昔はそういう家庭が多かった。
 親も優しさを演出したかったろうが、したくても出来なかったのだ。だからクリスマスの日に靴下にグリコのキャラメルが一箱入っているだけで嬉しかったし、運動会や遠足の日に巻寿司や稲荷寿司が食べれるのが、最高に嬉しかった。
 そういう事情もあって国がせめて子供達の授業料を義務教育期間は無料にする法律を作ったのである。ただし食費に関しては弁当を作る負担や家庭によってはおかずが梅干一個で子供が恥ずかしがって食べない子もあり、栄養等も考え平等にという立場から給食を考えた。給食費は親の義務である。
 何はさておき、子供の食費を負担するのは親の一番大切な義務なのである。今は振込みらしいから親が給食費を払えないような家庭の補助は当たり前だが、現金徴収日を復活させれば子供が恥をかくというので卑劣な親が減るのではないか。貧しい頃の方が親子の情愛も常識もあったような気がする。これも豊かになってなくした文化の一つだろう。


賽銭▼昔、神社へ行った時、おみくじを引いたら、「安い御賽銭で沢山お願い事をしたら、神様も困ります。お願いをする時はそれなりのお賽銭をあげましょう」と書いてあったのを思い出した。
 地獄の沙汰も金次第と言う言葉があるくらいだから、この世もあの世も神様も仏様もやっぱり金は必要なんだなぁー。賽銭箱を片付けるのを覗いた事があるが、確かに日本の神社仏閣の場合、未だに一円玉、十円玉が主流である。最近でこそ私も世間体があるので必ず百円玉(一年に二、三回は千円もある)であるが、ついこないだまでポケットの中に余った小銭の半端を整理する為に投げ入れただけである。そのくせ確かに願い事だけは思いつくまま幾つもお願いしたような気がする。良く考えれば願いを叶えて貰えるような態度で臨んでいないし、神様に失礼である。
 その点、外国の宗教は信仰心が強く生活の中心になっている。真剣な分だけ争いにもつながっていくのだろう。日本の場合、宗教と呼ばれている各宗派があるが、本当は宗教と呼ばないで習慣文化と呼んだ方が合ってるような気がする。外国に比べて穏やかで自由で緩やかで、だからこそ争いがないのである。新興宗教の中には外国の宗教を真似たように戒律に厳しく、寄付が強制的で他派を認めない、カルト集団的な宗教団体もあるにはあるが、日本の風土には馴染まない。
 家に先祖を祭ってある仏壇があって、またお願い事をする神棚が飾ってあり、葬式は仏教でめでたい事は神道でという、日本独特の宗教観でいいと思う。
 日本の宗教の場合、このいい加減さが功を奏して来たのだと思う。日本の文化は日本人で守る、これでいいのだ。ほのぼのとした安らぎを与える詩で有名な相田みつをさんも言ってたよ。「百円玉一ツぽんと投げて手を合わすお願いごとの多いこと」って。
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