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日本大学アメフト前監督
故篠竹幹夫前監督さようなら
アメフトの英雄に2,000名が集う
篠竹監督の下に通っていたのは確か二十五年前であるからお別れ会では懐かしい顔触れも多数拝見した。特に卒業生の年長は四十七、八歳もいるわけだから時代の流れを痛切に感じた。
私が傍にいた頃の監督は権力の絶頂にあったから我が侭放題という感じだった。その分、栗原さんや滝沢さん、亡くなった卓治さん等が苦労を背負っていた。もうみんな退職されてしまったが最後まで誰も愚痴は外に零さなかった。 私は部外者ゆえに強い監督も弱い監督も見ることが出来た。後輩や教え子と違って嫌なら去ればいいだけだったので立場は楽ではあった。一方で後輩や教え子に言えない分まで知る事もあった。晩年の監督は孤独だった。恐らく平成の時代には篠竹監督流が世の中に通用しなくなったのだろう。 誰が助言しても聞く人ではなかった。自分の信念だけが正しいと信じている人だった。何でも自分が一番でないと気が済まない人だった。選手よりも父兄よりも常に自分がスターでなければ納得しない人だった。 しかしマイナー系スポーツであるアメリカンフットボールをこよなく愛し有名にしたのは間違いなく篠竹監督であるし、日大体育会にはキラ星の如く名物スター監督がいるが、篠竹監督は間違いなくトップにランクされる名物スター監督だったのである。 合掌 当日の篠竹幹夫監督お別れ会のもよう |
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