日大アメフト篠竹監督と私
日大アメフト篠竹監督と私
ワンス・アポン・ア・タイム5

 

篠竹監督との関係は過去にも記事にしたことは何度かあったが、「百聞は一見にしかず 」と写真掲載にした次第である。


篠竹監督は日大でも特別有名な名物監督でもあったが、横浜でも有名人だった。週に一度は横浜中華街で食事をするような人で、横浜をこよなく愛した人だった。


私が知り合った頃の監督は、歌はシャンソンしか歌わなかった。決して上手いというような歌唱力ではなかったが、本人はプロ歌手よりうまいという自負があったようだ。かなり強烈な思い込みのある人で、お付きの監督専用マネージャーは大変だった。


例えば、「この前、その窓から女の顔が見えた」と監督が言うので、「そんなことはないでしょう。此処は二階ですよ(監督室は二階にあった)。何かの錯覚でしょう」というと、「おっ、俺を信じないな。」と言って、直ぐマネージャーを呼び、「おいっ、昨日女が、その窓から見えた時の状況を話してやれ」という。そうすると、その場で、いかにも見たような話を、身振り手振りを交えて話をするのである。


話が下手だったら鉄拳が飛ぶ。こちらも状況を深読みし、納得した振りをすると、満足して喜ぶ人だった。最初は状況を理解できないから、「あり得ない」を連発していたので、その度に「お前の説明が下手だから白倉が理解出来ないんだよ。次の奴に代われ」と鉄拳が飛んでいた。


今思えば「嘘を呑み込めない」性格のために、マネージャーに迷惑をかけてしまった。謹んでお詫び申し上げたい。あれだけの厳しい教育を受けてたから、今頃は立派な社会人になってることだろう。もう50歳前後になっているのではないか。今だったら、あり得ない教育ではあったが、厳しい犠牲的精神、協同精神、奉仕的精神を強制することで、日本一を続けた監督さんだった。著書に「雄の時代」というのがある。しかし、今の軟弱になった時代を見ずに亡くなられたのが、せめてもの幸せだったかもしれない。合掌。
 

大阪遠征の時は、練習中亡くなった選手が眠っているという墓前に、必ず監督は訪れていた。


 

大阪出身の日大フェニックスOBの面々。



 

甲子園ボールの始まる前の余裕な一コマ。





私も一応、日大フェニックス関係者としてのリボンを付けてグランド入りしていた。
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